復興支援!ボラバスねっと岐阜

東日本大地震の被災地に復興支援のボランティアバスを送るグループの情報サイトです。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
11月12日、陸前高田市で
可茂学区(可児市・美濃加茂市・可児郡・加茂郡)7校の高校生33名とスタッフ8名が
ボランティア活動をしてきました。

前夜7時に出発し、13時間かけて陸前高田にやってきました。
眠い目をこすりつつ、VCのオリエンテーションを受け、
作業場所へ移動します。

今回の作業は、「桜ライン311」プロジェクトのお手伝い。
公式には、1回目が11月6日、2回目が3月11日となっていて
今回は特別企画です。

実行委員会事務局長の佐藤一男さん(米崎小仮設住宅自治会長)と
陸前高田市復幸応援センターの若林英俊さん、須長利明さん、村井将昭さんの4名が
現地スタッフとしてお手伝いしてくれています。

ほとんどの植樹場所は傾斜地です。
斜面を2mほど上ったところの植樹場所の周りをきれいにします。
そして40センチ四方、深さ30センチ程度の穴を掘り、
垂直に注意しながらさくらの苗を置きます。
次に土を半分ほど入れ、苗がぐらつかないように土を固めます。
さらに土を入れ、水が漏れないように苗の周りにリング上の土手を作り
たっぷりの水を入れて終了です。

陸前高田市作業1 陸前高田市作業2 陸前高田市作業3
(けっこうな斜面でしょ。右の写真の左に写っている方が事務局長の佐藤さん)

植樹した場所は4カ所。
それぞれ3本のさくらの苗を植えました。

4カ所とも、地主さんと交流ができ、
差し入れをいただいたり、お話を聞かせてもらえました。

作業そのものは、ガレキ撤去や泥だし、農地整備と比べて楽な作業です。
しかも、1本あたり11人の高校生が担当しますから、
一人あたりの作業は少なくなってしまします。

ただ、プロジェクトが始まったばかりで
高校生が作業できる場所(傾斜が緩やかな場所)がまだまだ少ないから
仕方ありませんね。

それでも、高校生は一生懸命やっていました。
いろいろな学校、男女が混じった即席チームですが
お互いに気を遣ったり、支え合ったり、譲り合ったりして
見ていて気持ちがいい作業ぶりでした。

陸前高田市全員で記念撮影
全員の写真です。前列右から2番目が佐藤さん、その左が私です。女の子が指さしているのが桜の苗)

佐藤さん、若林さん、須長さん、村井さん、ありがとうございました。
地主のみなさん、ありがとうございました。

みなさんのおかげで、高校生はとても貴重な体験ができました。
アンケートにも
「自分の植えた桜を見に来たい」とか
「陸前高田のことを学校でみんなに伝えたい」
といった声が多く出ていました。

私たちは「桜ライン311」プロジェクトをこれからも応援します。


スポンサーサイト
ボラバスねっと・かにかも「藤掛号」の活動報告です。

9月23日(金)~9月25日(日)
10時間バスに揺られ、いつもながらほとんど寝られず。
8時30分、陸前高田市の災害ボランティアセンターに着く。
プレハブの建物に絶句。
ほかの地域はそれなりの建物の中にあるのに・・・
間借りできる大きな建物がすべて破壊されてしまっているのか。

でも、受付に関しては、どこよりもきちんとしています。
全体ガイダンス→受付→マッチング→道具の搬入→バスの中でのオリエンテーション
参加者全員がVCの考えを理解することができます。

今回の作業は、広野湾に面した水田の整備。
大きな瓦礫は撤去されたのですが、細かい者は残ったまま。
さらに雑草が生い茂っています。

草刈り鎌と草刈り機3台で作業開始。
1時間ほど作業したあと、ちょっと気になったので地図を確認したら

なんと!場所がちがう!

もう少ししっかり見ておくべきでした。
藤掛夫妻とみんなに謝って、100m程離れた本来の作業場所へ移動。
さすがにテントや荷物はそのままにしておきました。

こちらは比較的草が少なかったので、3台の草刈り機以外は、瓦礫拾い。
けっこう草深いし、大きな瓦礫も混じっている。
台風の影響で水もけっこうたまっていて、作業がはかどらない。

終了30分前になっても、初めと変わりばえがしないので
残り全員で草刈り機で作業していた田んぼをきれいにすることにしました。

時間的に作業が終わるのか心配でしたが、さすが42人のパワーはすごい。
あれだけの草をすべて刈り取ることができました。

きれいになった田んぼを見て、参加者も満足していました。
やっぱり、達成感を感じられることが大切ですね。

作業前の水田
(下の写真と場所はちがいますが、こんな感じでした)

作業後の水田


作業終了後、広田湾の近くまで足を運び、
破壊された堤防やねじ曲げられた鉄柱などを見ました。
みんな、津波の破壊力の大きさを、驚きをもって見ていました。

本当は「高田の1本松」と見たかったのですが、
被災者の気持ちを考えて行くことを中止しました。

高田の1本松
(市街地から海岸方向、1本の松の木が見える。松が植えられていた浜は今はない)



さて、私は4カ所の被災地で活動しましたが、
この陸前高田市は一番復興が遅れているような気がしました。
まだ田畑の中に流された車が何台も残されています。
7月ころの仙台、岩沼と同じ程度だと感じました。

陸前高田にはこれまで6万人ものボランティアの方が来たそうです。
気になって調べたのですが
釜石市3万人、大槌町4万4千人、宮古市1万6千人、石巻市10万人、岩沼市2万4千人・・
これらと比べても、決して少ないわけではありません。
それにもかかわらず、この状態とは・・・よほど被害がひどかったのですね。

陸前高田市社協の会長さんは、12月くらいまでかたづけが続くだろうと言っていました。
でも、災害VCのスタッフとして活動しているボランティアさんが
だんだん帰ってしまうので、この体制がいつまで続けられるか心配していました。

24日は1200人のボランティアが参加したわけですが(これはすごい数です)
30人のスタッフが、とてもうまく処理していました。
このスタッフが減ってしまえば、そりゃ心配です。

石巻市の鮎川地区、雄勝地区、大槌町、陸前高田市・・・
災害復興が遅れている地区がまだまだいっぱいあります。
皆さん、忘れないで下さい。

19日~21日の活動報告です。

石巻のボランティアセンターに着いたのですが、民間団体のアモール石巻扱いのボランティアということで、
活動概要などをもらわずに直接現地に行くことに。
ただし、頼んだら地図はもらえた。

活動場所は石巻市門脇中屋敷。
門脇地区は、港から近く壊滅的な被害を受けている。
家は残っているが、1階部分は完全に壊れていて、ほとんど人は住んでいない。
まるでゴーストタウンのよう。

活動内容はアパートの泥だし(改装する可能性があるため)
20分に1回は休むつもりだったが、現地リーダーの指揮下に入ったので30分に1回になった。

女子高校生の奈弓も寛恵も、男たちと同じ作業をしている。
もう一人の高校生、直樹もがんばっている。
活動も道中も父と一緒だったので、普段はできない感情を持てたかもしれない。

狭い場所で大きなスコップを使い泥を掻き出し土嚢袋に入れる。
その土嚢袋を狭い梁を渡って外に運び出す。
一歩間違えば足を踏み外してしまいそう。

実際転んで頭にケガをした人もいる。
オキシドールをかけ消毒し、三角巾を巻いて応急手当をした。
きちんと消毒できていればいいが。

天候は一日中曇りで、気温もそんなに高くない(26~7度かな)
それでも作業をしていると汗がしたたり落ちる。

アパートの泥だしということで、「なんだ、企業のための作業か」という思いを持つ人もいた。
たしかに相手が見えにくいボランティア活動ですね。

近くの民家などは、家財道具こそ片付けられているが
汚れたまま。たぶん床にも泥がたまっていると思う。
本当なら、こういう所で活動したかったのだけど・・・

ただ、海に近いところなので、復興計画によっては直しても住めなくなることもあるので
そのままにしているんだろうなーと勝手に思う。

それでも、現地のボランティアの方には感謝された。
仕事を請け負った現地のボランティアも、ここが早く終われば次のニーズにかかれるわけだから
多少は役に立てたと思う。

3時に作業終了。
なんか早いな~とみんなが思っているが
広い石巻市では、各地で活動したボランティアが
VCに帰ってくるのに時間がかかるからじゃないのかなと思ったりする。

バスが来るまで時間があったので
壊れたアパートの前で集合写真を撮る。
リーダーの吉本さんにも入ってもらう。
大阪から来て4ヶ月もここで活動しているそうだ。

4時現地出発、湊町の方までバスで回る。
門脇地区と同じ状況。

ガレキはほとんど見当たらないから、一見普通の町並みに見える。
しかし、人が住んでいない家が続く。
これも不気味な光景です。
信号は死んでいて警察官が手信号をしている。


今回の活動で失敗したことも記録しておきます。

トイレについては、現地のボランティア団体が仮設トイレを用意してくれていました。
ただし、前日の段階では、近くにないと言うことだったので
独自で近くの石巻中央自動車学校へトイレ使用のお願いをしておきました。

当日、トイレットペーパー・手土産を持ってお願いに行ったのですが
トイレに行くときは靴を履き替えていく必要があったのに、
みんなに伝えていなかったのが失敗でした。
今までの活動ではここまで汚れなかったので気がつきませんでした。

石巻中央自動車学校の糟谷専務、申し訳ありませんでした。


手洗い用の水も用意しませんでした。
これも事前に確認しておくべきでしたが、
現場はライフラインがなく、食事時の手洗いもできない状態でした。
やむなく飲料水で手を洗ったのですが大失敗です。
大きなポリタンクなど手洗い用の水が必要でした。
道具や長靴も洗えなかった。

参加者の皆さん、本当に申し訳ありませんでした。

こんなに至らないところがあったのに
皆さんのご協力のおかげで、無事活動を終えることができました。
本当にありがとうございました。


(私の個人用ブログからの転載です)

22日の活動は、石巻市川北町の旧大川第二小学校の体育館で、
瓦礫の中から見つかったアルバムや子供たちの道具などをきれいにする作業でした。
思いで洗い隊」と言われています。

汗まみれの作業を覚悟していたのですが、
女性が半数以上いたので、ボランティアセンターが配慮してくれたのでしょう。

2つの班に分かれ、それぞれ、発見されたバッグの清掃と
アルバムをきれいにする作業を行いました。

私は、アルバムをきれいにする作業でした。

とりあえず乾燥だけしてあるアルバムの写真を台紙から外し、
ハケと歯ブラシで汚れを落とします。
こびりついた泥の固まりは、カッターナイフの背を使ってこそげ落とします。
だいたい落としたら、乾燥した布できれいにして終わりです。

無理をすると、写真に傷がついてしまいます。
せっかく見つかった写真です。
できるだけきれいにしてあげたいのですが、
初めて作業する私たちには、どこまでやっていいのか分かりません。
そういう意味ではもどかしい思いをする作業です。

責任者の方も
「何枚きれいにするじゃなくって、持ち主のことを考えて作業して下さい」
と言っていました。
確かに、数をこなす作業ではないです。

アルバムがここにあるというのは、
家が完全に破壊されてしまっているということです。
何も持ってこられなかったと思います。

だとすれば、このアルバムは持ち主にとってとても貴重なものになります。

きれいになったアルバムを手にすることができたら
きっと喜んでもらえるだろうな


そんな思いで作業をしていました。

一方で、写真をきれいにしながら、
ここに映っている人たちが無事でいてくれていることを願わずにいられませんでした。


というのも
すでにきれいにされて、持ち主の名前まで分かっている
ランドセル、鍵盤ハーモニカ、バッグ、
ノート類などが入った段ボール箱

それがいくつもいくつも残されたままなのです。


ここに運び込まれた思いでの品々の大部分は
8割近い生徒が亡くなったり、行方不明になった大川小学校の子供たちのものなのです。

手伝いに来ていた地元の方に聞くと、一家全員が亡くなった家庭もあるといいます。
残されたものは、ほとんどそうした家庭の子供たちのものでしょう。
思わず手を合わせざるを得ませんでした。

非常に重い気持ちにさせられた活動でした。

ここでの作業は、9月の半ばまで続くそうです。
毎日のように、想い出の品を探しに来る人がみえますが、
作業をするボランティアの数が少なく、
なかなか新しいものを展示することができません。

団体のボランティアが来てくれることが望まれています。
どなたか応援に行ってもらえませんか?
よろしくお願いします。
6月17日
可児市役所・美濃加茂市役所を出発。
総勢38名(うち2名は岩沼で合流)
車内では自己紹介

6月18日 午前8時30分 岩沼市災害ボランティアセンター
活動場所1:民家の庭の泥だし10名
    2:所有者と連絡が取れない畑(100平方m)の整地(↓こんな状態でした)

作業前

津波襲来後、何も手をつけていない土地です。
一見草ぼうぼうの空き地です。
しかし、流されてきた瓦礫でいっぱいです。
雑草で気がつかなかったのですが、
表面も数センチくらいはヘドロで覆われています。

幸いにも天候は曇りでしたが、汗がしたたり落ちます。
20分ほどで能率が落ちてきます。
休憩を10分ほど入れなければ、年配の方にはきつい作業です。

午後になって、個人宅で作業していた仲間が合流
マンパワーの威力が発揮されます。

すぐ隣で側溝の泥かき出しをやっていた岩沼市災害ボラセンのスタッフは
「すごいですね、正直ここまでやっていただけるとは期待していませんでした」
と言っていました。

それがこの写真(↓)です。
作業後

今回一緒に作業した仲間の集合写真です。
仲間たち

お疲れ様でした。
思っていた以上に作業ができたことに満足な表情です。

しかし、帰る前に見た仙台空港付近の状況は、衝撃的でした。
発生から100日たっているのに、状況は全く変わっていません。
時間が止まったような地域が、ずっと広がっています。
私たちがきれいにした土地の何万・何十万倍もの広さの土地がです。
時間が止まった仙台

むなしさを感じました。

それでも、復興するには人の手しかないのだと理解でき、
もっとボランティアが必要なんだということがわかっていただけたと思います。

私たちのやった活動は、ほんの小さな場所でしかできなかったのですが、
そのくり返しが、そこで感じたことが
間違いなく復興につながっていくと思います。

そんな仕事を、6月18日にやってきました。

お疲れ様でした。
そして主催者として、参加された方へ
ありがとうございました。





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。